セカンド・ライン

「セカンド・ライン (second line)は、ジャズ・フューネラルというニューオーリンズ独特の葬儀のパレードから生まれた。ジャズ・フューネラルでは、パレードは先頭を歩くファースト・ラインとその後につくセカンド・ラインとに分かれる。ファースト・ラインは故人の遺族および関係者のみが参加し、重々しい曲を演奏しながら葬儀場から墓地まで棺を運ぶ。一方、セカンド・ラインは埋葬を終えた後の帰路のパレードで、ファースト・ラインとは対称的に賑やかな曲を演奏しながら街を練り歩く。遺族、関係者だけではなく、音楽に魅せられた通行人もパレードに加わる。彼らは音楽に合わせて踊り、ハンカチを振り、色とりどりの傘を掲げてパレードを盛り上げる。ファースト・ラインの重々しい演奏が故人を悼むためのものであるのに対し、セカンド・ラインの明るさには、魂が解放されて天国へ行くことを祝う意味が込められているとされる。セカンド・ライン・パレードへの参加者はセカンド・ライナーズなどとも呼ばれる。(Wikipediaより抜粋引用)」ニューオリンズという地は、黒人音楽を愛好する人間にとって永遠の憧れの地である。ご他聞に漏れずこの僕も、遥か異国の独自文化を極東の小国である日本人が理解しきれるものではないなどということは100も200も承知の上で、それでも尚、かの地ニューオリンズと、アフロアメリカンの死生観を現すこの「セカンド・ライン」という風習に憧れ焦がれて早ウン年。未だ足を踏み入れたことは無いのだけれど、何時かはきっとその空気を、温度を、この肌で感じてみたいと想い続けている。人は必ず何時かは土に還る。それを頭で理解していても、少なくとも今日明日明後日、可能な限りのしばらくの間は、そのような事は我が身にも身の回りにも起こらないと思って生活している。皆が皆そうだとは言い切れないが、少なくとも僕はそんなカンジである。出不精の僕のことだ。寿命までにかの憧れの地に足を踏み入れられるかどうかは定かではないけれど、もしポックリと逝った後に、残されて僕を悼んでくれる人がいるとするならば、葬儀の後はこのセカンド・ラインのように賑やかにしてもらえれば良いものだな、そんなことをたまに、本当にたまにボンヤリと思ったりもする。尤も、それにはまず「バンドさん」がひとつやふたつできるくらいには友人を作る必要がある。これはなかなかオオゴトだ。何時訪れるか分からないその時までは、セカンド・ライナー募集中!の精神で生活しなければなるまい。